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佐藤 峰行 1970年12月生まれ。
経理部勤務のサラリーマン時期を経て23歳でイタリアへ。中部フィレンツェで料理人生をスタート。しかしあまりの厳しさの為、逃げるようにして一年後一
時帰国。東京、福岡で計4年間働き、28歳で再び
渡伊。
中部アドリア海岸沿いのホテルで料理研修生として働き、北部モデナで生パスタを、最北部トレントで煮込み料理を学び、南部のナポリで魚料理、ドル
チェを学ぶ。 2002年日韓ワールドカップ開会式の当日に帰国。しかし、チケットは一度も入手する事が出来ず、全てテレビでの観戦となった。
2003年7月、柏市にトラットリーア・イタリアー
ナ まがーり(イタリア田舎料理 まがーり) をオープン。
2005年10月、イタリア北部トレンティーノ=アルト・アディジェ州トレントで2週間の研修。
2008年11月、イタリア最南端の州シチリアのカターニアで2週間の研修。
2009年10月、「イタリア田舎料理 まがーり」改め、「トラット
リア・サルタ エヴィーバ!」オープン。
◇ボクの料理人生とイタリア◇
21歳の時、建設会社の経理部の仕事を辞め自分探しの為にアメリカへ。ロサンゼルスでアルバイトをした後、アメリカ一周のバス旅行へ。アメリカは住みや
す
く魅力的な国だったけど大好きなサッカーがない。それならサッカー王国イタリアへ行こうと思い、1年間でアメリカから帰国。日本でお金を貯めて1994年
11月イタリア・フィレンツェへ。
フィレンツェを選んだのは街の雰囲気がよかったのと、
当時地元のサッカーチームにバティストゥータというスーパースターがいたから。フィレンツェでは最初、ホテルのフロント&客室掃除係りをしながら日曜日に
はサッカースタジアムに通っていた。3ケ月経った1995年1月のある日、対ジェノバ戦を観にいくと、そこにはひたむきにボー
ルを追う三浦和良選手の姿がありました。
その日の夜、自分も24歳、何か一生続けられる仕事を見つけようと決め、調理人を目指す事にしました。それは”イタリア料理は美味しい”そして、”レス
トラン
で働けば食べるのに困らない”という単純な理由からでした。
1995年3月フィレンツェにあるレストランでコック見習からスタートし、プロフィールのにある通りの道を辿ってきた。今は料理をいちから教えてくれた
イ
タリアで出会ったすべての人達に恩返しをする気持ちで毎日料理と向き合っている。イタリア語の「まがーり」という言葉には”そうなればいいね”のような意
味があり、それは「日本でもイタリアの田舎料理が根付けばいいな、好きになってもらえたらいいな」という本人の願いも込められている。
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